第1話 「ランドセルが歩き出した朝」

入学式の朝。
まだ少し肌寒い田舎の小学校の校門の前に、赤いランドセルがひとつ、ちょこんと立っていた。

 ――正確に言うと、立っているのは一年生の男の子、ゆうとである。
 ただし、遠目には完全に「ランドセルが歩いている」ように見えた。

「だいじょうぶ?」
 お母さんが声をかける。

「……だいじょうぶ」

 そう答えたものの、ゆうとの手は、ぎゅうっとお母さんの上着をつかんだままだ。
 初めての登校。初めての教室。初めての先生。
 昨日の夜、「たのしみ!」と言ってはいたけれど、今朝になってその“たのしみ”は、少しだけドキドキに変身していた。

 校舎の前では、先生たちが並んで新一年生を迎えている。
 その中に、ひときわそわそわしている先生がいた。

 スーツは少しだけ大きくて、ネクタイは、たぶん今朝鏡の前で何度も結び直した跡がある。
 初任の、若い男性担任の先生だ。

(声、ちゃんと出るかな……)
(名字、間違えたらどうしよう……)
(ていうか、ランドセル、思ったより大きいな……)

 そんなことを考えていると、目の前の“ランドセル”がぴたりと止まった。

「……あの」

 ゆうとが、勇気をふりしぼった声で言った。

「せんせいは……おとこのせんせいですか?」

 一瞬、先生の頭が真っ白になる。
 そして、次の瞬間、思わず笑ってしまった。

「うん、そうだよ。はじめまして。1年1組の先生です」

 そう言ってしゃがみこむと、目線がゆうとと同じ高さになる。

「ランドセル、重たいよね。先生もさ、今日はこのネクタイが重たいんだ」

 その一言で、ゆうとの肩が少しだけ下がった。

「せんせいも、はじめて?」

「うん。先生も、今日が“いちねんせい”みたいなもんだ」

 ゆうとは、ちょっと考えてから言った。

「じゃあ、いっしょだね」

 その言葉に、先生の胸の奥がじんわりあたたかくなる。

 教室へ向かう途中、校庭の端に咲いている花や、昨夜の雨でできた水たまりに、ゆうとの目が止まる。
 先生はその様子を見て、
(ああ、学校って、まずは“歩くこと”から始まるんだな)
と思った。

 ――子どもも、先生も、そして見送るお父さんお母さんも。
 この日、みんながちょっとずつ一年生。

 ランドセルは、まだ少し大きいけれど。
 不安も、まだ少しあるけれど。
 それでも、この学校の一日は、ちゃんと笑顔から始まっていた。


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